社会学理論・研究ノート-大昔の偉い人は何を考えたのかー
2006-07-02T11:54:09+09:00
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大学院入試・試験用のメモ。底本…公務員試験地方上級・国家Ⅱ種バイブル⑩社会学<新装版>(早稲田経営出版)A.ギデンズ『社会学』第4版(而立書房)など、まだまだ追加予定!
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マルクスの発展段階論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2683670/
2006-07-02T11:53:00+09:00
2006-07-02T11:54:09+09:00
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社会変動論
彼は人間それ自体自然であり、その生命活動として自然との不断の物質代謝によって人間及び人間社会は再生産されると考える。この物質代謝を媒介するのが人間の合目的な生産活動である。この生産活動を規定する生産様式は、労働を介した自然へ働きかける人間の力である生産力と、生産活動を営む際に人間が取り結ぶ社会的関係からもたらされる生産関係から成り立っていると考える。彼はこの生産力の発展が一定の段階に達すると、その対応関係である生産関係との間に矛盾を生じるようになるという。そして、やがてそこに支配/被支配(搾取)という社会関係が生じることになるという。その結果、領主と農奴、資本家と労働者というような区分のもと、階級とよばれるものが生じることになる。 この社会関係が、やがて闘争をもたらし社会に変化をもたらすとマルクスは強調した。
彼はこの<生産力>と<生産関係>との関係から人間社会の変動を捉え、歴史を振り返ることによって、原始共産制社会、古代奴隷制社会、中世封建社会、近代資本主義社会へと社会がその形態を変えてきたことを指摘し、そして来るべき社会としての<社会主義社会>へと社会形態は段階的な発展を遂げると主張した。
諸階級に分裂した社会では、その階級間において相対立する利害を巡って闘争が起きることをマルクスは指摘したがこれを特に<階級闘争>と呼ぶ。彼は「社会の歴史は階級闘争の歴史である」という。そして近代社会においてこの階級闘争とは、労働者と資本家の対立となる。この対立において労働者は、はじめは個人の特殊な条件に基づいた即時的階級としてその闘争を行なうが、やがて、一定の階級意識と組合、政党などの組織性をもった対自的階級に成長して国家権力の奪取を目指して、闘争することになると主張する。このようにマルクスは、社会の中に生じた階級という観点から社会の変動を分析したのである。]]>
スペンサーの社会進化論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2683090/
2006-07-02T10:07:25+09:00
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社会変動論
彼はコントと同様に社会静学と社会動学という視座から社会の分析を試みる。そして、社会動学の立場から社会の変動を軍事型社会から産業型社会へというプロセスを持って説明している。
彼は、人類の最大幸福を実現するような社会を完全社会と呼び、この完全社会にいたる過程を分析する中で<軍事型社会から産業型社会>への進化を指摘する。
<軍事型社会>とは周囲の敵対的な社会に対抗するために集権的な社会構造を持ち、<強制的協働>によって成員が全体に服従しているような社会であり、諸個人は社会に抑圧された形になる。そこでは、身分的・全面的支配や集権的統制が見られると指摘する。
一方、<産業型社会>では、同等の個人の自由な社会関係が見られるという。そこでは、自由、契約、分権化、自発的協働がみられ、分化と階層化が進んで成員は異質化、個性化するが、相互の連帯が強まり緊密な結合が生ずるような社会であり、個人は社会によって抑圧されずむしろ擁護されることになるという。
このようにスペンサーは、前近代から近代への進化を<軍事型社会から産業型社会へ>として捉え、社会の変動を説明するのである。]]>
コントの三段階の法則(law of the three stages)
http://ksnkshakai.exblog.jp/2682975/
2006-07-02T09:38:10+09:00
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社会変動論
最初の段階である神学的段階とは、さまざまな現象を超自然的なものに根拠付けて説明しようとした、いわば虚構の段階である。例えば、原始未開の時期は物神崇拝、古代ギリシャ・ローマでは多神教、中世及びルネッサンスの時代は一神教という形態にみられると彼は指摘する。
第2段階である形而上学的段階とは、何らかの実体ないしは人格化された抽象物を想定し諸現象の説明を試みる科学的説明の段階である。
そして最後の実証的段階とは、諸現象の解明を推論と観察によって行なう科学的説明の段階を指す。
そして、これら3つの精神の発展に対応してそこに見られる社会状態が、それぞれ軍事的状態、法律的状態、産業的状態である。軍事的状態では軍事的な社会関係を中心とし征服が目的とされ奴隷制が敷かれ、法律的状態では法律的な社会関係のもと法律家が政治を支配することになり、産業的状態では産業家が社会において支配的地位を占めるというものである。このように、コントは精神の発達という観点から社会の変動を説明した。それは人間知性が直線的に進化するという進歩の理念に貫かれた精神史観の一種である。]]>
ウィリスの文化的再生産論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2682863/
2006-07-02T09:10:18+09:00
2006-07-02T09:10:18+09:00
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学校教育と文化的再生産
従来の見解では、労働者階級の子どもたちは多くの場合、学業で好成績を収められなかったことを理由に、あるいは将来、自分は高給を得たり高い地位につけることはないと自ら能力を限定することによって、親と同等の職に就くと考えられてきた。そして学校は、知力の面で限界を認めることを教え込み、労働者階級の若者は、劣等性を受け入れることで、労働者階級の職業に就くことを指摘されてきた。
しかし、ウィリスはこの指摘を批判する。たとえ、学業に対して劣等感を持っていたとしても、自らが不成功者であると生涯思わずに、いわゆる下積みの仕事をしている多くの人々がいる。そこには学業以外の何かがあると彼は指摘した。
彼はそこに反学校文化と労働者階級独自の文化を指摘し、若者はそれら文化によって自らの価値観を得、またそれを担っているという。そして、肉体労働への男らしさや、優等生の多くが就くホワイトカラーに対して批判的な価値観を持つことになると指摘する。確かに学業不振は1つの原因ではあるが、労働者階級の人々によって形成された文化の中で育った若者は、望んで労働者階級の職業に就いている者も多いと指摘したのである。]]>
バーンスタインの社会言語コード理論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2585922/
2006-06-22T08:21:00+09:00
2006-06-23T09:23:53+09:00
2006-06-22T08:21:58+09:00
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学校教育と文化的再生産
彼は中産階級と労働者階級の子供たちにおいて言語使用の差異を見出す。労働者階級の子供たちは、特定の集団のみ通用するような、あるいは同じ状況を共有したものにのみ通用するような話し方をするという。彼はこれを限定コードという。
それに対して中産階級の子供たちはこの限定コードを用いるほかに、特定の集団を超え、同じ状況を共有していなくても話し相手に通用する、説明的で、いわば抽象化された話し方を心得ているという。そしてこれを彼は精密コードと名づけた。
このような言語コードを身につける背景に、子供たちのおかれた家族の階級の問題があると指摘する。そして学校は精密コードを公式言語として用いるため、精密コードに慣れていない労働者階級の子供たちは学校に適応できない事態に至るというものである。
そして、このような子供たちは上の階級への昇進を妨げられ、そしてその子供たちが親になったとき、その子供も同様のプロセスを経てしまうような悪循環(再生産)の構造がそこにあると指摘するのである。]]>
ブルデューの文化的再生産論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2585667/
2006-06-22T07:10:27+09:00
2006-06-22T07:10:27+09:00
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学校教育と文化的再生産
彼は、フランスにおいて、平等な教育機会が保障されているにも関わらず、大学以上の高等教育機関への進学者において、中産階級の子供たちと労働者階級の子供たちとの間に明らかな階級間格差が生じている現実を指摘する。
そして彼はこの原因を文化資本の格差にあると指摘する。その例として文化資本の1つである言語資本を挙げる。家族によって用いられる言語資本は家族のおかれた階級的地位によって異なっており、中産階級の言語は抽象的、形式主義、婉曲語法を特徴としているのに対して、労働者階級の言語は個別特殊的、具体直接的な特徴を持っているという。
ところが、学校文化の中では中産階級の言語体系が一般的なものとして受け入れられている現実がある。そのような言語体系での教育は、労働者階級の子供たちに戸惑いを与え、さらには理解力にまで影響を招いていると指摘する。
そして、外見的には中立的で民主的な学校という枠組みではあるが、実際は中産階級優位の環境での選別が起こり、しかもそれが社会的に正当化されていると指摘した。言語や文化を身につけるのはきわめて後天的なことであるが、社会の中において、それらは特定の階級内で繰り返し再生産され、その結果として、不平等な階級格差も再生産されていると指摘するのである。]]>
ベネディクトの文化論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2585409/
2006-06-22T05:06:04+09:00
2006-06-22T05:06:05+09:00
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文化論
彼女は、アメリカ南西部のブエブロ族とその周囲にいる平原インディアンの文化の対照的差異に注目する。ブエブロ族の文化は威厳と温和を理想とし感情の抑圧や緩和などをその特徴としていた。一方、周囲にいる平原インディアンの文化は、勝利と恥辱を両極端とする感情の中に生きてきた。彼女は前者をアポロ型文化と呼び、後者をデュオニソス型文化と呼んだ。
また、彼女は『菊と刀』において罪を基調とする道徳の絶対的標準を説く西洋のキリスト教文化を罪の文化と呼び、恥が強制力である日本の文化を恥の文化と呼んだ。彼女は様式主義の立場に立ち、さらに精神分析学的考察を取り入れこの特徴を指摘した。
そこでは文化のうちに制度化されている動機、感情、価値を1つの型として取り出すことが試みられた。人々のエートスに注目して文化を考察したといえよう。]]>
ハースコヴィッツの文化論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2585316/
2006-06-22T04:23:00+09:00
2006-06-23T09:37:35+09:00
2006-06-22T04:23:50+09:00
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文化論
文化変動(cultural change)はその速度や規模に関して未開社会と文明社会では大きく異なる。孤立した未開社会においてその変動はきわめて緩やかに起こっている。表面上目立たない微小で緩慢な変化が蓄積されると、一定の方向性を持った緩やかな文化変動を引き起こす場合がある。彼はこの様子を文化的漂流(culutural drift)と呼ぶ。
彼は文化の変動には、発明、発見、技術革新、人口変動などに見られる社会の内部から起こる<内的要因>と、文化の伝播、異文化との接触に基づく<外的要因>があると指摘する。
一般に、この外的要因に基づく文化の変化、特に従属的な位置にある社会の文化が支配的な社会の文化に従うように急激に変更されるような2つの社会の間の相互作用の過程を<文化変容(acculturation)>と呼ぶ。
また、文化を受容した側が部分的な要素の導入にとどまらずその文化全体を再統合し、影響を与えた文化と全く相似の文化になる現象がある。これを文化同化(culutural assimilation)>と呼ぶ。]]>
リントンの文化論
http://ksnkshakai.exblog.jp/2566187/
2006-06-20T06:19:00+09:00
2006-06-22T04:00:06+09:00
2006-06-20T06:19:25+09:00
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文化論
また彼は、文化というものが研究者によって抽象化された構成概念という側面をもつと捉え、現実文化型と構成文化型の2つの操作概念を提示する。
現実文化型とは、成員によって学習され分有された行動様式の総体を指す。
一方、ある社会の特徴を捉えようとする時、そこでは現実文化型からの抽象化が行なわれる。彼は現実文化に見られる最頻値を抽出することによって、その特徴づけを行なう。そしてその最頻値から導き出された文化の型を彼は構成文化型と呼んだ。その意味で構成文化型とは文化現実文化型の代表値であるといえる。]]>
文化の概念と定義
http://ksnkshakai.exblog.jp/2566077/
2006-06-20T05:25:00+09:00
2006-06-23T09:38:05+09:00
2006-06-20T05:25:00+09:00
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文化論
文化に関する定義としては主に4つある。
文化を複合的全体と考えるE.Bタイラーは「広い民族誌的意味において理解すれば、知識、進行、芸術、法、習慣及び、人間が社会の成員として身につけたその他の才能、習性から成り立つ複合的全体」と定義し、また文化を分有、伝達されるものと考えるリントンは「習得された行動と行動の諸結果との総体であり、その構成要素は成員によって分有され伝達されるもの」と定義する。
また、生活様式に注目したハースコヴィッツは「文化は一団の人々の生活様式であり、一方、社会とはある生活様式に従う諸個人の組織化された集合体である。社会は人々の組成であり、彼らの振舞い方が文化である」というものや、価値に注目したクローバーとクラクホーンによる「文化とは行動に関する、また行動のための明示的もしくは暗黙裏に存在するパターンからなる。それはシンボルによって習得伝達されるものであり、文物としての具体的表現を含みつつ人間集団に特有の業績を作り上げる。文化の中核は伝承された観念及びそれに付与された価値である」という定義がある。]]>
社会移動
http://ksnkshakai.exblog.jp/2565693/
2006-06-20T02:51:31+09:00
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未分類
垂直移動(vertical social mobility)とは、社会的地位の上下を伴う移動を指す。より上位の社会的地位の階層への上昇移動と、より下位の社会的地位の階層への下降移動、双方を含む波状移動がある。
水平移動(horizontal social mobility)とは同一階層内での移動を指す。
世代内移動(intragenerational mobility)とは、ある個人の一生涯の中での社会的地位の移動を指し、世代間移動(intergenerational mobility)とは、ある家族の2世代以上にわたる社会的地位の変化を指す。
強制移動(compulsive mobility)とは、職業構造の変化や,経済的変動、人口動態など外的要因、言い換えれば社会的地位の分布の変動に基づく移動を指す。
純粋移動(pure mobility)とは、移動機会の多寡によって左右される移動を指す。社会成員にがそれぞれの社会的地位に基づく平等の機会の大きさを示す。
産業化の進んだ社会では純粋移動の増大傾向が共通に認められる。
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階級と階層
http://ksnkshakai.exblog.jp/2565413/
2006-06-20T01:58:00+09:00
2006-06-20T02:59:52+09:00
2006-06-20T01:58:26+09:00
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地位・役割・社会成層
階級(class)の概念は、マルクスによる生産手段の所有と非所有とそれに基づく生産関係における地位の相違に基づく支配/被支配の関係など敵対的な集群を指すものという定義が一般的である。この階級という概念は歴史的概念であり、階級間には断層が見られ、社会的不平等を指摘することに一つの特徴がある。そして、それぞれの階級に属する人には共通意識としての階級意識(class consciousness)がもたらされることになる。
一方、階層(social stratum)とは、職業、収入、学歴など個人に分配された指標に基づく社会的地位(social status)にもとに人為的、操作的に区分された人々の集群を指すものである。従って、連続的差異における社会的地位の差異であるといえる。その意味で、階層は階級と異なり非歴史的概念であり、操作的な分類概念である。
この階層が上下に積み重なった構造、すなわち社会的資源の配分状況に応じて複数の階層を段階的に配置した階層構造の総体を特に社会成層(social stratification)という。そして、全体の中でどの層に位置するかという主観的な所属階層に関する意識を階層帰属意識(stratum consciousness)と呼ぶ。]]>
地位と役割
http://ksnkshakai.exblog.jp/2565205/
2006-06-20T01:28:00+09:00
2006-06-20T03:29:51+09:00
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地位・役割・社会成層
帰属的地位とは、社会の中で継承される身分に基づいた地位であり、生誕と同時にもしくは一定年齢で個人に帰属させられる。性別、年齢、親子や兄弟姉妹などがこれにあたる。
一方、獲得的地位とは、個人の努力や競争によって自ら築き上げる地位であり、自らの努力によって得られた職務上の地位などがこれにあたる。占有するには何らかの才能・知識・技能を必要とする。近代社会における専門職・自由職(弁護士・医師・スポーツ選手など)の多くは、個人の意欲的な達成動機に基礎付けられた獲得的地位であるとみなすことができる。
そして、これら社会や集団から割り当てられた地位に付与され、他の行為者と相互作用するように期待され、義務付けられ、学習される行動様式を役割(role)と呼ぶ。
役割はその地位に具体性を与え、地位に対応した動態的な機能面を把握する概念である。
役割を担った人に対して特定の行動を期待するのを役割期待(role expections)と呼ぶ。
特定の相互行為場面に適応していくために、自分の地位に相応しい行動様式を適確に学び取り、それを自身の所属性に合わせて実行に移す学習現象を役割取得(role taking)と呼ぶ。それは、役割知覚(role perspection)と役割実現(role enactment)の中間的段階にあり、行為者が社会を自分の中に具体的に取り込み、さらに自分なりの実現の仕方を工夫するという、人間の自我形成と主体性の問題に関わっている。
役割の担い手が自己の内面で主体的に処理しがたいような、同時に持つ複数の役割間に生じた矛盾した期待による葛藤を役割葛藤(role conflict)と呼ぶ。たとえば、家庭と仕事の板ばさみにあっている既婚女性労働者、2つの異なる社会の狭間で苦しむマージナル・マンなどに生じる事態である。]]>
ミード(自我発達論)
http://ksnkshakai.exblog.jp/2565076/
2006-06-20T01:16:00+09:00
2006-06-20T03:30:28+09:00
2006-06-20T01:16:21+09:00
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社会的自我の理論
彼はその役割取得を説明するため、プレイからゲームへという段階的な説明概念を用いる。
まずプレイの段階では、特定の他者の役割取得が行なわれると考える。子どものごっこ遊びなど、子どもが自分ではない他者の役割をまねて遊ぶ中に、他者の役割の認知、理解をみていると指摘する。
続くゲームの段階では、集団全体の中での役割取得が行なわれると考える。集団内の共通目標との連関で自己の役割を位置づけるということがなされる。そしてこのようなプロセスを経て、やがて社会一般の期待や規範の内面化がなされることになる。これを特に一般化された他者の役割取得と呼んだ。
このように他者との相互作用を通じて役割を認知、受容して、社会的な自我を形成していくわけであるが、ミードはこれらを一方的受け入れるような人間を想定していない。
彼は自我をI(主我)とMe(客我)に区分する。組織化された他者や、社会全体の役割や態度を取得した自我をMeと呼び、その一方でMeに同調したり批判する自我をIと呼ぶ。このIとMeの相互作用(構成的、反省的、問題解決的な思考=内なる会話=精神)を通じて自我は発達するとミードは主張するのである。]]>
クーリー(鏡に映った自我)
http://ksnkshakai.exblog.jp/2564626/
2006-06-20T00:40:00+09:00
2006-06-20T03:58:51+09:00
2006-06-20T00:40:04+09:00
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社会的自我の理論
彼は他者を自己を映し出している鏡と捉え、この他者との相互作用とそこに映し出された反応としての他者の振る舞いを考慮することによって形成される自我を社会的自我と呼ぶ。
そして、彼は社会的自我が形成される場である家族、仲間集団、近隣集団などの基本的社会集団を第一次集団(primary group)と呼ぶ。この第一次集団は成員間の親密で対面的な結びつきによって成立しており、連帯感と一体感を持ち、幼児期の道徳的意識が形成される社会的基盤であり、その結果として社会秩序の形成に貢献していると指摘する。]]>
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