ブルデューは、社会における階級的格差がいかに形成され、その構造が、いかに社会において正当化されるかという事に注目する。特に彼は教育という観点に注目し分析を行った。
彼は、フランスにおいて、平等な教育機会が保障されているにも関わらず、大学以上の高等教育機関への進学者において、中産階級の子供たちと労働者階級の子供たちとの間に明らかな階級間格差が生じている現実を指摘する。
そして彼はこの原因を
文化資本の格差にあると指摘する。その例として文化資本の1つである言語資本を挙げる。家族によって用いられる言語資本は家族のおかれた階級的地位によって異なっており、中産階級の言語は抽象的、形式主義、婉曲語法を特徴としているのに対して、労働者階級の言語は個別特殊的、具体直接的な特徴を持っているという。
ところが、学校文化の中では中産階級の言語体系が一般的なものとして受け入れられている現実がある。そのような言語体系での教育は、労働者階級の子供たちに戸惑いを与え、さらには理解力にまで影響を招いていると指摘する。
そして、外見的には中立的で民主的な学校という枠組みではあるが、実際は中産階級優位の環境での選別が起こり、しかもそれが社会的に正当化されていると指摘した。言語や文化を身につけるのはきわめて後天的なことであるが、社会の中において、それらは特定の階級内で繰り返し再生産され、その結果として、不平等な階級格差も再生産されていると指摘するのである。