社会分析の基本的視座は大きく2つに分かれる。それは、「社会を個人の視座から分析する立場」と「社会を社会全体の視座から分析する立場」という2つである。
「社会を個人の視座から分析する立場」の代表選手は
方法論的個人主義(methodological individualism)である。
社会をそれ自体として単一的実在として見なさず、
社会あるいは社会的諸関係の分析単位を個人に求め、諸個人の行為及び個人間の相互作用から出発して社会の様態を説明していこうとする方法的志向である。
一方、「社会を社会全体の視座から分析する立場」の代表選手は
方法論的集合主義(methodological collectivism)である。それは、社会を部分や要素の単なる総和を超えた独自の性格を持つものと考え、それを部分や要素に還元しては説明がつかないという立場にたち、
社会あるいは社会的諸関係の分析単位を、個人ではなく集団もしくはより下位の社会関係に求める方法的志向である。
この他に、社会というものを「部分」と「全体」という区分に注目し分析する視座を特に
ミクロ・アプローチと
マクロ・アプローチという。
ミクロ・アプローチとは、社会は基本的に複数の要素から構成される複合体という前提から、単位要素に分割して捉えようとする立場である。
マクロ・アプローチとは、社会は、それを構成する諸部分には還元できない特性を有するという前提から、集合体全体の状態や、運動をそのまま全体として捉えようとする立場である。
社会名目論(social nominalism)とは、
社会や集団のそれ自体としての実在性を認めず、それらを諸個人の相互関係に還元する考えである。社会は個人の寄せ集めであって名目的なものに過ぎず、個人のみが実在するとする立場である。ジンメルの形式社会学やシカゴ学派の関係主義、また、ウェーバーの理解社会学なども社会名目論である。
一方、
社会実在論(social realism)とは、社会が諸個人からなるにせよ、社会は諸個人から自立し、個人には還元されえない独自な性質を持つ実在物であるとみなす立場である。コントの社会有機体説、デュルケムの集合表象説や、社会を人間の本性そのものを作り出す心的現実とみなすクーリーの見解も一種の社会実在論である。